第30回
山崎 昶先生が答える化学質問箱
回答者プロフィール
やまさき・あきら
1937年生まれ。東京大学理学部化学科卒業。
元日本赤十字看護大学教授。
おもな著書に「化学の常識なるほどゼミナール」「落語横丁の化学そぞろ歩き」「機密保持と化学」「ミステリーの毒を科学する」、訳書に「化学するアタマ」「先生を困らせた324の質問」「サイエンティスト ゲーム」「続 サイエンティストゲーム」など多数。
山崎 昶先生が答える化学質問箱
第30回
Q. アスファルトを,ベト付きを抑えた粘土状の物質にしたいのですがうまくいきません.何を加えたら良いのか教えてください.
Q. 中学生相手の授業で,スチールウールをガスバーナーで熱して酸化鉄をつくり,元の鉄とは性質が違う物質になったということを確認しようとしました.質量は増加し,手触り,見た目も違いますが,塩酸への溶け方や電気の通り方が,いわゆる問題集の解答と違う班が出てきました.
Q. ピクリン酸って,その昔は火傷の薬になっていたそうですね.本当ですか?
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Q.  アスファルトを,ベト付きを抑えた粘土状の物質にしたいのですがうまくいきません.苛性ソーダを加えたところ,ベト付きはなくなりましたが,まったくの石鹸になったのか粘土状の物質にはなりませんでした.何を加えたら良いのか教えてください.
(33歳 会社員)
A.  アスファルトは複雑怪奇な混合物で,通常は溶剤(石油系)に可溶な部分の「ペトローレン」と不溶部分の「アスファルテン」に分類するぐらいしかできませんが,どちらも多環性の芳香族骨格の炭化水素が主成分で,ほかにも硫黄や酸素,窒素などをも複素環化合物として含んでいます.縄文時代から接着剤として使われ,是川や三内丸山などの遺跡にも,遠く(たぶん秋田や越後あたりから)から運んで利用したものが残っています.でもこのためには,何千年も昔のことですから化学処理はまず無理で,塗布後に時間を掛けて気長に固化するのを待つだけだったでしょう.
 ほかにも優秀で低廉な高分子素材がたくさんある現在,これからわざわざ粘土状の物質をつくることにどんな意味があるのかが当方には理解できないのですが,単に塑性をもたせるためならば,試みられたような化学的な処理では,分子が小さくなって流動性が著しくなるだけで,おそらく逆効果だと考えられるのです.もともとかなりがっちりした骨組みの分子の集団ですから,ゴムの加硫処理と同じような,架橋重合による物性の顕著な変化などはまず見込めそうにありません.
 べたつきを押さえるのが目的であれば,道路の舗装に使う場合のように,物理的に混ぜもの(フィラー)をいろいろと試みるぐらいしか策はないと考えられます.どのようなフィラーがよろしいのかは,使用条件そのほかで大きく違ってきますが,そちらに関しては化学の本よりもむしろ土木工学の専門書をご一覧になる方がよろしいのではないでしょうか?
Q.  中学生相手の授業で,スチールウールをガスバーナーで熱して酸化鉄をつくり,元の鉄とは性質が違う物質になったということを確認しようとしました.質量は増加し,手触り,見た目も違いますが,塩酸への溶け方や電気の通り方が,いわゆる問題集の解答と違う班が出てきました.問題集では,電気は通らなく,塩酸にも溶けないとなっています.また,HPを調べたところ,磁石につかない,と書いてあるものもありました.しかし,他のHPや理化学事典等で調べたところ酸化鉄には種類により,塩酸に溶けたり電気を通したりするようです.しかもどうもスチールウールは炭素を含んでいるらしく石灰水が濁ることもあります.また,できた酸化鉄に塩酸を加えたところ硫化水素(?)のにおいもするときがあります.長々と書きましたが,スチールウールをガスバーナーで加熱した場合できる可能性の高い酸化鉄とその酸化鉄と塩酸の反応,電気の通り方,磁石への付き方などの性質を教えて頂きたくメールを出しました.よろしくお願いします.
(44歳 教員)
A.  お問い合わせの文から察するところ,スチールウールを都市ガスのバーナーで加熱酸化されたのでしょう.純酸素の中で完全酸化されるような実験ではなさそうですね.でも,熟練されている先生ご自身がやられた場合と,こんな実験ははじめてという生徒さんがこわごわやっている場合の両方を想像しますと,どうみても加熱酸化が十分にできているとは思えないのです.まして都市ガスにはメルカプタン系の着臭剤の添加が義務づけられています.そうしますと,加熱不十分なところにはメルカプタンの分解で硫化鉄が当然生成しますから,酸に溶かせば硫化水素がでて不思議はありません(逆に微量の硫化鉄の生成でも検出ができたということにもなりますね).
 そのような条件下だとしますと,あらゆる種類の酸化鉄(組成からはFeO,Fe2O3,Fe3O4ぐらい)の生成のほか,まだ酸化を受けずに金属の形で残っているものが少なくないと考えられます.表面が見たところ黒くなった(生徒諸君ならこれで十分酸化したと思ってしまうはずですが)としても,酸化物の薄い層に覆われているだけで中は金属のままだと,テスターで触れば導電性があることがわかりますし,もちろん磁石にも引かれます.
 「ケミカルカイロ」などでも,酸化反応が進んでもう発熱しなくなったあとにまだ金属鉄分がかなり残っているのですが,ほとんどの方は気にされていないようです.よく空港などでお年寄りが金属探知器に引っかかり「ワシはそんな危ないものなど持っておらん!」と押し問答をしていたりしますが,大部分はこれが原因だということです.
 ですからお問い合わせの問題点は「酸化鉄の性質」ではなくて,生徒諸君の実験の生成物が何であるかということなのです.酸化鉄の諸性質ならば,化学の辞典類をご一覧になればすむことですから,ネットでお問い合わせになるには及ばないでしょう.
 石灰水を白濁させるというのも,二酸化炭素(これはガスが燃えたらいくらでもできますね)のほかに硫酸イオンができていたとしたらやはり硫酸カルシウムが生じるために水溶液を濁らせる可能性があります.そんなにはっきりとは見えないでしょうが.
 もともと鋼(スチール)は鉄と炭素との合金ですが(これは銑鉄を精錬するときに,吹き込む酸素の量をコントロールしてちょうどいいぐらい残るようにしてあるのです)スチールウール中の炭素分がどのぐらいかは手元にデータがありません.でもふつうの鉄鋼(炭素鋼)並だとするとたかだか2%ぐらいしかないはずです.
Q.   ピクリン酸って,その昔は火傷の薬になっていたそうですね.本当ですか?
(53歳 会社員)
A.  現在では「爆発性化合物」として厳重な管理のもとにカギのかかる戸棚などに保管しなくてはならないものですが,いまから数十年ぐらい前まではピクリン酸(トリニトロフェノール)の局方アルコール溶液をいれた瓶が,救急箱にあることは珍しくありませんでした.軽度のやけどをしたあとに塗ると,確かに治りが早いように思えましたが,これは殺菌・消毒効果のためでしょう.ただ,塗ったあとが真黄色に染まってしまうのは何とも厄介でした.
 ピクリン酸は18世紀の初頭に,絹の繊維を硝酸と硫酸の混合液で分解して得られたのだそうで,まさに「キサントプロテイン反応」の生成物でありました.絹に含まれているチロシンがニトロ化されてできるのです.はじめの頃は黄色の染料としてもっぱら使われたそうですが,材料が天然の絹だったせいか,いわゆる「合成染料」には分類されず,パーキンのつくったモーヴのほうが合成染料第一号ということになっています.
 ピクリン酸という名称は,「苦味のある酸」という意味だということで,バルビツール酸中毒の解毒剤に使われるピクロトキシンなど,よく似た名称ですけれども別にピクリン酸の誘導体ではありません.
 明治時代に下瀬雅允(まさちか)博士の考案した「下瀬火薬」はピクリン酸を主成分として配合したもので,日露戦争でその威力を発揮しました.このおかげでロシアに勝てたのだと記してある書物も,司馬遼太郎氏や渡部昇一氏のものも含めて少ないものではありません.