第7回
山崎 昶先生が答える化学質問箱
回答者プロフィール
やまさき・あきら
1937年生まれ。東京大学理学部化学科卒業。
元日本赤十字看護大学教授。
おもな著書に「化学の常識なるほどゼミナール」「落語横丁の化学そぞろ歩き」「機密保持と化学」「ミステリーの毒を科学する」、訳書に「化学するアタマ」「先生を困らせた324の質問」「サイエンティスト ゲーム」「続 サイエンティストゲーム」など多数。
山崎 昶先生が答える化学質問箱
第7回
Q. 外国のデパートのカタログに「Florence flask」っていうのがあったそうです.化学の辞典類を見ても載っていませんでしたが,どんなフラスコなのですか?
Q. 自動車の窓ガラス,このごろは紫外線カットを売り物にしていますが,フロントガラスはとくに宣伝していません.紫外線はすっぽ抜けないのでしょうか?
Q. ある生化学の本に「次亜塩素酸は殺菌力が強いが,イオン化すると殺菌力がなくなるので使っても無意味である」というような記載がありました.ちょっと信じられないのですがほんとうですか?
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Q.  英会話スクールに行っている友達から聞かれたのですが,教材として使う外国のデパートのカタログに「Florence flask」っていうのがあったそうです.化学の辞典類を見ても載っていませんでしたが,どんなフラスコなのですか? もしかして,フローレンス・ナイティンゲールが使ったフラスコなのでしょうか?
(26歳 会社員)
A.  これは平底フラスコの別名なのだそうです.中世の末頃からルネッサンス時代,文化の先端を走っていたフィレンツェ(フローレンスは英語読みの名前です)は,珍しい化粧品や香水でも有名でした.その香水の容器として,当時では融けたガラスを吹いて丸くつくっていたフラスコの,底に当たる部分を板に当てて平らにし,化粧台の上に置いても転ばないように工夫されたのが元だと言われています.香水用ですから小さなものばかりだったはずですが,今では普通の平底フラスコを指す俗称になってしまいました.
 当時のガラス工芸品の製作は,フィレンツェとは商売敵でもあったヴェネツィアの専売でしたが,大量に捌けるとあれば製造側でも無視できず,お得意さまの名前をつけることになったのでしょう. 
Q.  自動車の窓ガラス,このごろは紫外線カットを売り物にしていますが,フロントガラスはとくに宣伝していません.紫外線はすっぽ抜けないのでしょうか?
(34歳 会社員)
A.  最近になって,紫外線によって皮膚がんが生じるというデータが集まってきたせいか,厚生労働省も子どもの日光浴を奨励しなくなったようですが,もともと通常のガラスは紫外領域に大きな吸収があるため,有害な紫外線(UV-C)はほとんど透過せず,優秀なフィルターとして機能しています.その昔は「ガラス越しの日光浴なんてまったく効果がない!」といわれたものです.
 もっともこの「紫外線による皮膚がん」の原因となるのはUV-Cとよばれる短波長の(高エネルギーの)もののはずですが,もう少し波長の長いUV-Bとよばれる領域(その昔は保健紫外線ともいわれました)も同じように危ないということになって,このような紫外線カット性能が宣伝のタネとなったのです.つい数年前までは「小麦色に日焼けしたお肌」をつくるための,この保健紫外線を出す蛍光燈が何本もついた美容器具が売られていたのですが.
 自動車のフロントガラスは,安全対策上,二枚のガラスの間にプラスチック膜をはさんだ合わせガラス構造になっています.ガラスだけでも紫外線の透過は悪いのに,このプラスチックはもっと紫外線を吸収しますから,わざわざ「紫外線完全吸収」なんて宣伝する必要もないのです.
 側面のガラスは合わせガラス構造ではないのがふつうなので,ほかと違うこと(そのために価格が上がるはずですが)をPRするために紫外線カット率を問題にしているのでしょう.
Q.  ある生化学の本に「次亜塩素酸は殺菌力が強いが,イオン化すると殺菌力がなくなるので使っても無意味である」というような記載がありました.ちょっと信じられないのですがほんとうですか?
(21歳 大学生)
A.  これはおそらく,細胞膜の透過性を問題にしているのだろうと思われます.次亜塩素酸はご承知のとおりの弱酸で,常温でのpKa(酸解離定数)= 7.53ですから,血液のpH(7.35)だと,3分の1ぐらいが解離した形で存在することになるでしょう.ふつうの細菌の場合,細胞膜の透過性で比較すると,次亜塩素酸イオンのほうは遊離酸に比べて100分の1ぐらいしかないそうです.分子の形のほうが膜をとおりやすいのです.
 細胞膜を通過して,細胞内部に侵入した次亜塩素酸分子は,細胞内の代謝酵素を攻撃します.グルコース代謝に重要なトリオースリン酸脱水素酵素などがとくに弱いらしく,この種の酵素が破壊されると細菌は生きていられなくなってしまいます.
 ところが,細菌の細胞膜は当然ながら有機化合物で出来ているわけですから,外部からの酸化剤による攻撃にもそんなに頑丈に出来ているわけではありません.分析試薬としてお馴染みの過マンガン酸カリウム水溶液も,その昔チフスやコレラなど消化器系伝染病の患者の排泄物の殺菌処理に使われました.谷崎潤一郎の「過酸化マンガン水の夢」という作品はまさにこの強い紅紫色がテーマになっています(「過酸化マンガン水」とは以前のお医者さまが間違ってこうよんでいたからです).
 次亜塩素酸塩のほうが,遊離の次亜塩素酸よりもはるかに高濃度の水溶液を調製することができますし,有機物を容易,かつ迅速に分解することも可能です.生化学のテキストなら,細胞内部からのメカニズムを主として論じているのは理解できますが,細胞外部からの破壊効果を完全に無視するのは,実情から考えるとあまりにも極端に走りすぎています.もし上のテキストにあるような表現が厳密に正しいのなら,キッチンハイターなどの溶液に,カビや細菌などのせいでヌルヌルとなった食器などを漬け置きしてもまったく汚れが落ちないことになってしまいます.
 ひょっとしたら,以前に関西各地で多発した,塩素系漂白剤に塩酸を混ぜてトイレを掃除したために起きた塩素中毒死事故も,こんな歪んだ情報がどこかで広まったからなのかもしれません(上の生化学の本のように「酸性のほうが有効である」というような記載がある書物はたしかにあるのですが,この「酸性」は炭酸ガスが溶解した普通の水道水ぐらいの範囲で十二分なのです).