第171回
山崎 昶先生が答える化学質問箱
回答者プロフィール
やまさき・あきら
1937年生まれ.東京大学理学部化学科卒業.
元日本赤十字看護大学教授.
おもな著書に「化学の常識なるほどゼミナール」「落語横丁の化学そぞろ歩き」「機密保持と化学」「ミステリーの毒を科学する」,訳書に「化学するアタマ」「先生を困らせた324の質問」「サイエンティスト ゲーム」「続 サイエンティストゲーム」など多数.
山崎 昶先生が答える化学質問箱
第171回 (2017/06/23更新)rss
Q.

 われわれにはすっかりお馴染みの「墨」ですが,英語では「Indian ink」なんだそうですね.あちらにも「天竺伝来」を尊ぶ習わしがあったのでしょうか?

Q.

 通常の「毛管現象」による水面の上昇には限界があって,1気圧分,つまり10 mほどが限界だと最近教わったのですが,それじゃ,メタセコイアのような高さ何十メートルにも及ぶ巨木の上端にまで根から水分が運ばれるのはどんなメカニズムなのでしょうか?

Q.

 色素を使って地下水探査を試みたのはドイツのさる化学者が最初だったというんですが,だれだったのでしょう?

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Q.

 われわれにはすっかりお馴染みの「墨」ですが,英語では「Indian ink」なんだそうですね.あちらにも「天竺伝来」を尊ぶ習わしがあったのでしょうか?

A.

 これはやはり単に「経由地」の名で知られたからだろうと存じます.もともと煤(カーボンブラック?)を顔料とするのは,洞窟壁画などにも使われているぐらい古くからかの地でも目新しいものではなかったのですが,もともと煤などの炭素の微粒子は水と馴染みません.「墨」は膠(最近ならポリビニルアルコール系のポリマーも)などの保護コロイドを活用してこの難点を克服した結果「文房四宝」の一つとまで貴重視されるようになったわけですが,もちろんインド産ではなく,漢土の神話時代(黄帝の治世?)からすでに存在していたようです.さる美術の先生に伺ったところでは,墨汁のような水性の黒色の絵具や着色材料が普及したのは結構新しいのだから,古代遺跡の絵画の黒色の彩色はほとんどが油煙を獣脂などの油性のメディア(ビヒクル?)でのばしたものだろうということでした.
 この種の経由地の名で呼ばれているものには「カボチャ」(←カンボジャ)や「ジャガイモ」(←ジャガタラ=ジャカルタ)などがあるのですが,中には「紅殻(弁柄)」とか「桟留」「寸胡禄」などのように漢字が当てられて,原産地なのか経由地由来なのかも判然としなくなっているものもあります.もはや舶来品という意識も薄れてしまっているようです.

Q.

 「川蒸気」って何ですか? 新潟のお菓子の名前だと思っていたら,ちゃんと由来があって付けられたのだとか.

A.

 ちょっと以前までのテキスト類だと,「樹木の水を吸い上げるのは導管の毛管現象によるもの」と簡単に片付けてありましたが,現在ではもっと詳しいことまでがわかっています.
 このような高木(喬木)の場合,てっぺんに近い梢の葉からの水分の蒸散効果が大きく利いていて,水素結合でつながっている水分子が幹の中の導管を経由して引き寄せられるので,その効果が著しく大きいと考えられています.水素結合は普通の化学結合に比べるとかなり弱いのですが,それでも通常の分子間相互作用に比べると桁違いに強いので,樹幹中の導管壁などによるロスを勘定に入れても100 mほどまでなら,蒸散によって失われる分を補うのに十分な水分を吸い上げることが可能だという計算になるのだそうです.

Q.

 南極に巨大な望遠鏡を設置するというプロジェクト(「寒極望遠鏡」(?))があるのだそうですが,どうしてわざわざあのような不便なところに設置するのでしょう.なにかよほどのメリットがあるのでしょうか?

A.

 これはインジゴ合成などで名高いアドルフ・フォン・バイヤーの行ったことの一つです.
 わが国の河川は,明治に来日したオランダのデ・レーケやエッシャー(トリックアートの名手M. G. エッシャーの父君)が「日本の川はすべて瀑布」と評したように,水源から河口まで一つながりのかなりの急勾配(ただし外国の河川とと比較した時の話です)のものが大部分ですが,諸外国では必ずしもそうではないのです.沙漠の中で消えてしまったり,石灰岩系の地層の卓越した地域によくある洞穴に吸い込まれて行方不明となる例など決して珍しくありません.
 ドイツの南西部の一画を占めているシュヴァルツヴァルト(「黒い森」という意味です)は,やはりヨーロッパ全土の基盤とも言える厚い石灰岩層の上に立地しています.この森林の中から発する二本の小さな川(BrigとBrigach)とが,山地の勾配のやや緩やかになったドナウエッシンゲンの町で合流して,延々と黒海に注ぐまで一千数百kmにも及ぶ大河川のドナウ川となるのですが,実はこの水流は,ドナウエッシンゲンから下流で地下に吸い込まれてしまい,地上にも流路はある(豊水期にのみ水が流れる)ものの,かなり東に進んだ場所で再び地上に流れが出現するという,いささか奇妙な流れ方をしています.
 バイヤーはこの水の挙動を探ろうとして,当時研究していたフタレイン系の色素の中から,強い蛍光を示すフルオレッセイン(浴用剤や眼科の診断薬としてお馴染みの色素です)を選び,ドナウエッシンゲンに運んで合流点で水中に投入しました.その量は20 kgもあったというのですが,さぞや盛観だったことでしょう.
 ドナウ川の南にそって,小さな分水嶺があり,この南側はライン川の流域になっています.この分水嶺を超えたところに「アーハ(Aach)」という湧泉があります.ここからの水は南東方向に流れてライン川の中流にあるボーデン湖に注いでいます.石灰岩地帯によくあるドリーネの一つで,ほとんど涸れることのない豊富な水量を誇っていますが,ここの湧水にフルオレッセインの蛍光が見事に認められ,数日間続いたことが報告されました.つまり,ヨーロッパを代表する二つの大河は,地下水系を介してつながっていることが実験的に照明されたのです.これこそ化学者がトレーサーを使用した嚆矢だと記してある科学史の書物もあります.
 現在ではさすがに「20kgのフルオレッセイン」は環境に対する影響などからも問題となるので,半減期の短い放射性トレーサーが利用されるようになりました.