第176回
山崎 昶先生が答える化学質問箱
回答者プロフィール
やまさき・あきら
1937年生まれ.東京大学理学部化学科卒業.
元日本赤十字看護大学教授.
おもな著書に「化学の常識なるほどゼミナール」「落語横丁の化学そぞろ歩き」「機密保持と化学」「ミステリーの毒を科学する」,訳書に「化学するアタマ」「先生を困らせた324の質問」「サイエンティスト ゲーム」「続 サイエンティストゲーム」など多数.
山崎 昶先生が答える化学質問箱
第176回 (2017/12/27更新)rss
Q.

 「ヨードチンキ」,最初に薬用に使用されたのは,消毒・殺菌用ではなくて,甲状腺疾患の対症薬として,内服薬だったという話を伺った事があります.本当でしょうか?

Q.

 チョボって,もともとは賭け事の用語(単位か数)だったとかいうんですが,どんな数だったのでしょう?

Q.

 壊血病対策にキャプテン・クックが果した役割はどのようなものだったのでしょうか?

 
Q.

 「ヨードチンキ」,最初に薬用に使用されたのは,消毒・殺菌用ではなくて,甲状腺疾患の対症薬として,内服薬だったという話を伺った事があります.本当でしょうか?

A.

 フランスのクールトワ(Bernard Courtois, 1777-1838)が,家業であった硝石製造(当時は戦争が絶えなかったので,弾薬用の硝石の需要は莫大なものでありました)の原料である草木灰の入手困難を克服しようと,ノルマンディーやブルターニュあたりの海岸で大量に入手可能な海藻灰を使って硝石〔実はこれからだと,得られる物はチリ硝石(硝酸ナトリウム)になるはずなのですが〕を生産するプロジェクトを立ち上げようとして,海藻灰に濃い硫酸を注いだところ鮮やかな紫色の蒸気を発生する事に気づき,これがヨウ素の発見となったのです.1811年のことでした.
 クールトワは若い頃陸軍の医学校で薬学を学んでいたので,この紫色の気体となる結晶は水には不溶だけれども,薬用アルコールには可溶であることに気づき,この溶液〔今日風なら「ヨード精(spirit)」となるところですが,当時は「ヨードチンキ(tincture)」と名付けられた〕をいろいろとテストしてみたのです.
 もちろんパイオニア時代ですから,試行錯誤が繰り返されたのですが,甲状腺疾患に卓効を示すことが発見されて,一躍有名になったものの,患者に服用させると口内や咽頭部の粘膜を著しく刺激することが一亘りではなく(いくらノンベエの多いフランス人でもさすがに我慢できなかったらしい),やがてルゴール液が提案されると,こちらは水溶液ですからずっと刺激が少ないので取って代られてしまいました.
 外用薬(消毒・殺菌剤)としては,粘膜ほどには刺激を受けないので相変わらず医療スタッフに愛用されているのはご存じの通りです.

Q.

 チョボって,もともとは賭け事の用語(単位か数)だったとかいうんですが,どんな数だったのでしょう?

A.

 これは元来,漢土伝来の賭博に由来する「樗蒲」が起源(例によって,半島起源を主張される向きもあるらしい)なのですが,江戸時代になると,「小さな点」を意味するようになりました.歌舞伎の舞台などで「チョボ」と呼ばれるのは,義太夫語りが床本に小さな点を打った場所を語ることを意味するので,このような使われ方はやはり関西起源だろうと思われます.女の子の「おちょぼ口」も同様に関西起源だと伺った事があります.
 やがてこれが転じて,サイコロの点(総和),すなわち21を意味するようになりました〔実は「こちらが先だ」という説もあるのですが,六面体のサイコロと「樗蒲」の賽(四箇)とは本来別のゲームの用具でしたから,これはちょっとあやしくもあります〕.
 江戸の初期,家康公が大坂から移住を命じて白魚漁を営ませた佃島の漁民達は,このような小さい魚のことなので,片手でひとつかみを単位として商売をしていたといわれます.このひとつかみ分が21尾で,極めて再現性がよかったことから「一チョボ」とか「二チョボ」のように呼ばれ,やがて市中に通用するようになったということです.もっとも時代が降って幕末近くなると,一チョボは20尾になったらしく,川柳に

  白魚を半チョボ出して嫁拝み

とあるのは,佃島の氏神様である住吉神社の恵方参り風景だというのですが,この句の詠まれた時代にはすでに一チョボが20尾になっていたことがわかるのだそうです.
 大体,江戸っ子は元朝参りや恵方参りなどはしませんでした.これはもともと関西,とくに大坂近郊の新年の風習で,俳諧の季語に「初詣」が採録されるようになったのは明治も中頃,交通手段が発達して社寺への参拝が便利になってからのことです.

Q.

 壊血病対策にキャプテン・クックが果した役割はどのようなものだったのでしょうか? 当時はまだビタミンなんて知られていなかったはずなのに.

A.

 18世紀にジェイムズ・クックが艦長をつとめたエンデヴァー号の世界一周(第1回)航海は,壊血病による死者を1人も出さなかったという画期的なものでありました(もっとも,マラリアなどの他の病気による死亡者は結構あったのですが,それは別の話です).
 クック艦長がこの時に対策として携行したのは,今日ではドイツ料理でお馴染みの「ザウアークラウト」でした.これは本来,現在のフランスのストラスブ−ル近郊のアルザス地方の郷土食で,フランス語では「choucroute(シュークルート)」というのですが,繊切りのキャベツを乳酸発酵させて保存食としたもので,現代から考えると,酸性のメディアの中なのでビタミンC(アスコルビン酸)が分解されにくいのを利用していることになります.
 もっとも英国の食習慣は著しく保守的(いまでも「メシマズ国」などと皮肉られていますが)で,船員や水兵達はいくら艦長命令でもまったく手をつけようとしなかった(「そんなフランスやドイツかぶれのものなんか口に出来るか!」 とさんざん苦情を言ったらしい)ので,クックは最上級乗組員(海軍士官など)だけにこのザウアークラウト料理を振舞い,それより下のメンバーには「残り物のお裾分け」を提供するということにしたそうです.頂戴したメンバーは当然ながら「艦長の厚情ぶり」を披露することになりました.
 食い物の恨みはおそろしいと言いますが,さすがに下級船員や水夫も「俺たちにも喰わせろ」とわめきだし,結果的に乗組員全員がザウアークラウトを文句も言わずに(以前に苦情を言ったことなどすっかり忘れて)ずっと食べて世界一周を成し遂げたというのですから,もれなくビタミンCの補給を有効にする手段となったわけです.